追悼 富澤純一先生

大阪大学大学院理学研究科教授
升方久夫

 日本分子生物学会名誉会員で国立遺伝学研究所名誉教授所長の富澤純一先生は本年1月26日にお亡くなりになりました。92歳でした。富澤先生は、我が国の分子生物学黎明期に先導的役割を果たされ、長年にわたり世界トップレベルで活躍する分子生物学者として多くの研究者に強い影響を与えられました。また分子生物学会誌「Genes to Cells」の創刊と編集に携わられ、さらに「日本分子生物学会 若手研究助成 富澤純一・桂子 基金」を設立して若手研究者を支援されてきました。生涯をかけて我が国の基礎生命科学の発展に尽くされた富澤先生にたいし、ここに謹んで哀悼の意を表します。

 富澤先生は、1947年に東京帝国大学医学部薬学科を卒業されると、新設された国立予防衛生研究所(予研)化学部の福見秀雄研究室で免疫学、生化学、細菌学の研究に従事され、学位を取得されました。富澤先生もまた、当時米英を中心に盛んになりつつあった分子生物学に魅力を感じた一人であり、分子生物学の中心課題と捉えたDNA複製の研究を開始されました。1956年に、富澤先生の研究成果に注目した米国コールドスプリングハーバー研究所のAlfred D. Hershey博士に招かれて渡米し、さらにMITに移り大腸菌染色体の組換え機構を研究されました。1961年に予研化学部部長として新研究グループを組織して、我が国でいち早くDNA複製や組換えなど分子遺伝学の研究基盤を確立されました。このグループでは、複製や組換えの中間段階のDNAの物理化学的性質や形状を直接解析するための新しい手法を開発し、幅広い研究対象について分子遺伝学の確立に貢献されました。そのいっぽうで、新しい学問である分子生物学を志す研究者への教育と情報共有のために、高木康敬先生、内田久雄先生、小関治男先生らとともに1961年から毎年「ファージ講習会」を開いて分子生物学の浸透に貢献され、その中からはその後の分子生物学を支えた人材が数多く育ちました。

 予研での研究が順調に進んでいた1966年、大阪大学理学部から強く招かれた富澤先生は、兼任期間を経て1968年に阪大理学部生物学科専任教授に就任されました。しかしながら、全国の大学同様、阪大も大学紛争の最中となり長期の建物封鎖や学生への対応などで研究に集中できる環境になかったと思われます。紛争が一段落した1971年に米国国立衛生研究所(NIH)からの招きに応じて渡米されるまで阪大で過ごされた期間は短かったにも関わらず、富澤先生の薫陶を受けた多くの学生が分子生物学の道を目指すことに繋がりました。

 1971年にNIHのLaboratory of Molecular Biology (LMB)の分子遺伝学部門部長に就任され、1989年までの28年間、LMBでMartin Gellert、David Davisらと共にLMBの中核として発展に貢献されました。この間、富澤先生は、榊原祥公氏、伊藤建夫氏らの協力によりColE1プラスミドの環状二重鎖DNAの試験管内での完全複製に世界で始めて成功し、さらにRNAポリメラーゼ、RNaseH、DNAポリメラーゼIの3つの精製酵素だけでDNA複製開始できることを示しました。転写伸長中のRNAが開始点付近で安定なRNA-DNAハイブリッドを形成しDNA合成のプライマーとなるメカニズムを解明するとともに、複製開始が短いアンチセンスRNAによって制御されることを発見されました。近年のRNAによる発現制御の重要性を20年も先取りしていたことになります。長期にわたり海外にとどまってトップレベルの研究を継続された富澤先生の存在は、国内の研究者にも多くの刺激と激励となったと思います。

 1989年、富澤先生はColE1複製の研究に区切りを付けてNIHを去って帰国され、国立遺伝学研究所第6代所長に就任されました。遺伝研では自分の研究は一切行わず、優れた若手人材の確保と自由度の高い研究の場を提供することに尽力されました。1996年には日本分子生物学会の英文学会誌Genes to Cells誌の創刊に携わり、1997年に遺伝研を退職されてからも遺伝研近くのご自宅で桂子夫人と住まわれながら、初代編集長として2005年に柳田充弘先生にバトンを引き継ぐまで尽力されました。桂子夫人が亡くなられると、私財で「日本分子生物学会 若手研究助成 富澤純一・桂子 基金」を設立されました。使途の自由度の高い助成金である「富澤基金」により、熱意と能力はあるが資金に恵まれない若手研究者の活躍のチャンスが広げられています。

 私が1980年から在籍したNIHの富澤先生の研究室では、転写で伸長中のRNAが複製開始点付近でDNAと安定なハイブリッドを形成する機構の解明が中心課題となっていました。私に与えられた課題は、それまでに得られた生化学的実験系に遺伝学的手法を組み合わせて、複製開始に必要なRNA構造を明らかにすることでした。富澤先生は大きな自由度を与えてくださり、コンピューターによるRNA二次構造予測に遺伝学的制約と生化学的制約を加えることにより、RNA-DNAハイブリッド形成能をもつRNAの立体構造(二次構造)とアンチセンスRNAによる阻害のしくみが解明できました。富澤先生の研究スタイルは、一点に集中して次々に問題を深く掘り下げていくことに徹底しており、誰でもまねができるものではありませんが、私たちが意識すべき多くの教えを含んでいると思います。富澤先生は論理的思考を重視され、常に実験結果からもっとも整合性の高い解釈を導き、予想がはずれることを楽しんでおられたと思います。ストーリーありき・結論ありきの研究姿勢は決して真実に近づく道ではないと言えるでしょう。また、富澤先生は時間や労力を無駄にすることを極力嫌っておられました。自由に研究できるがゆえに何をするかを選択することが研究者の使命である(と言葉に出してはおっしゃいませんでしたが)。ColE1複製という一見特殊な系のしくみをとことん解明していくことによって、核酸の普遍的機能に到達できることを体験させて頂きました。いっぽう、分子生物学がまだヨチヨチ歩きであった予研時代には、富澤先生は多岐に渡る生物現象に同時に取り組んでおられたことから、その時々にやるべき研究を柔軟に選んでおられたと思います。今日、分子生物学は特殊な学問ではなく、多くの研究分野に浸透して「普段着」になりつつあります。一見順風満帆に見える分子生物学ですが、多様な分野に浸透したがゆえに、初期の理念であった「論理的思考と定量的解析」が薄まり、記述面が強くなっているのではないかと感じます。また巨大プロジェクト研究への偏りや大学の研究体制弱体化などの逆境を乗り越えて新たな発展に繋げるために、何をすべきか、何をすべきでないか、よく考える局面にあることは間違いないでしょう。富澤先生は学会講演から最近の「富澤基金」授賞式でのスピーチなどでも、聞き手に問いかけるようにして何かを考えてもらいたいと意識されていました。かつて分子生物学会の前身の分子生物学シンポジウムでは、参加者が自由に議論する雰囲気が印象的でした。もはや右肩上がりでなくなった今こそ、次世代の分子生物学を見いだすために自由闊達に議論できる場を分子生物学会が提供していくことが重要ではないかと思います。

 富澤先生は、最近は外出を控えておられたようですが、家の中では何でもご自分でされており、その日の朝も普通にお元気だったとのことです。まったく突然の訃報でした。生涯を分子生物学と共に歩まれ、私たちに多くを示してくださった富澤先生に感謝し、ご冥福を心からお祈り致します。

(2017年3月)