キャリアパス対談
第4回:白髭克彦×小野弥子

委 員:白髭克彦(東大・分生研)、小野弥子(都医学研)
日 時:2014年4月30日(水)15:00~17:30
場 所:東京大学分子細胞生物学研究所

【白髭】キャリアパス委員会に改組される前から活動している身としては随分長いこと学会に奉公している気がしますが(笑)、特に若手をエンカレッジすることが主たる目的ですから、今日はそのあたりの原点を意識しながらお話ししてみたいと思います。小野先生、よろしくお願いします。

【小野】白髭先生、こちらこそお願いします。私は男女共同参画学協会連絡会の担当委員をしています。前任の先生からお話があったときは正直驚きましたが、研究室を運営している先生方との交流を通して勉強させていただいています。

Katsuhiko Shirahige 【白髭】さて、タイミング的にもふれないわけにはいかないという感じですが、4月4日の衆議院内閣委員会で研究の不正防止策について尋ねられた山中さんが「わたしもそうでありましたが、30代の研究者というのは、実験の方法は上手だが、それ以外の点についてはまだまだ未熟な人間であります」と答弁しました。これが「30代の研究者は未熟!」と見事なまでに切り貼られてしまい、当事者である30代のなかにも違和感をおぼえた方は少なくなかったと思います。

【小野】ここ数ヶ月のあいだ世間を騒がせていることなので、自分たちが関わっている分野まで疑われてしまうのはすごく悲しいですが、それよりなにより、30代をひとくくりに過保護の対象とするのはどうかなと思いました。

【白髭】まったくそのとおりですね。ひとつの考え方として、修士までは学生ですけど、博士からは社会人でなければいけない。少なくとも私はボスにそう言われていました。世間一般のサラリーマンが働き始める時間には自分も研究室に就業する。国民の税金で研究させてもらっているんだから、その分の責任をまっとうしながら、やりたい仕事は早朝や深夜にまわしてでも徹底的にやる。ですから、博士課程に進んだ時点で社会人としての自覚を持つのが当たり前だと思うので、山中さんの発言はそういう意味で支持していません。
 それに、テニュアトラックの制度にしても、今ほどめぐまれている時代はないんじゃないかと思っています。あまやかされていると言っては怒られそうですが(笑)。

Yasuko Ono 【小野】はい。私のまわりでも、そういった意見が聞かれます。過保護にされたくはないけれど、制度として使いやすいかといったら疑問符が付くと。ひょっとしたら、研究者サイドだけではなくて、行政や大学サイドでも制度の変更は検討の余地ありとされているかもしれません。コツコツと実験を積み上げる基礎研究と一緒で、常に現状より改善していくには様々な立場の方とタッグを組む柔軟性が求められるのでしょうね。

【白髭】昨日までポスドクだった若手がいきなりお金を渡されて、3年とか5年でなんとかするよう発破をかけられます。「論文はCNSに出してね! 研究室のマネージメントもしっかりね!」
 これだと、できる人は若くしてディクテーターになってしまう反面、すぐに適応できない人は戸惑いつつ破綻してしまう。テニュアトラック制度にはそんなリスクが潜んでいるんじゃないかと思うんです。そう考えると、タッグを組むべき行政や大学が現行の制度をどう評価しているのか、キャリアパス委員会で調べてみる必要があります。

【小野】一流誌への論文掲載がステータスの指標となっている背景には、研究資金の配分というリアルな問題があります。1996年に科学技術基本計画が策定され、国家戦略のひとつとして科学技術が取り上げられるようになりましたが、研究者自身による自由な研究つまりボトムアップ型研究への資金配分が減少しているとの声が少なくありません。

【白髭】そうなんです。特にバイオの分野は、創薬とか再生医療など産業につながる出口研究が求められるようになってきました。トンネルに入ったままではなく、出口を見据えた研究をしなさいと言われます。文科省の科研費でもそうなんですから、研究室のマネージメントをする立場としては無茶苦茶しんどい時代です。
 しかし、ある研究テーマが50年とか100年くらい受け継がれて、その結果として本当の意味で即物的に役に立つものができればいいと願うのが私たちの真意だとすると、基礎研究にはそぐわない考え方だと言わざるをえません。

Yasuko Ono 【小野】私はボスがいる立場なので、そこまでの認識にはまだ至っていません(笑)。でも、カメレオンのようにテーマを変えて研究をするにしても、本筋本流の研究は大丈夫かしらと思ってしまいます。
 それに、科学技術立国と打ち出しているわりには、ただでさえ労働人口が減少している時代に、テニュアを推進して任期付きの若手を増やしてきました。これでは、国の政策がどちらへ向いているのかさえもわかりづらく、混沌とした現場の状況を招いた大きな要因となったのではないでしょうか。

【白髭】人間ってそんなキャパのあるものではないし、小野先生がおっしゃるように、カメレオンで成功できる人はいませんよ。「自分のエフォートは200%だ!」なんて言う人もいますけど、そんなスーパーマンは冗談のなかにしか存在しません(笑)。
 ある一定のバラまきをしないと科学技術は育たないと思いますが、時代はヒトへの応用に向かっています。私は酵母からマウス、そしてヒトを対象にしてきたのですが、一世代が1時間半の酵母に比べて、マウスは年単位ですよね。研究室を立ち上げて、マウスを飼育して研究を始め、数年後に結果はどうでしたかと問われるわけです。やはり10年くらいの単位でみないと、負のスパイラルから抜け出せなくなってしまいますよね。
 また、ヒトのためにならない研究はやっても仕方ないという雰囲気をヒシヒシと感じる、特に生命系の我々にとっては殺伐とした感じも否めません。そこにきてのSTAP騒動ですから、世間一般の方から奇異な見方をされてしまうのが本当に悲しい。
 最近はそんな厳しさばかりが際立っていますから、そうではなくて、研究は夢のある仕事だということをあらためて伝えないと。自分が本気で取り組んだ研究がおもしろくないなんてことはないはずですし、誰も見向きもしない荒地を耕すという仕事にこそ真価があるということも認識されるべきです。本来もっとおおらかであるべき基礎研究がなんで今日のようになってしまったのか。STAP騒動はいい反省材料とすべきです。

【小野】研究者には仮説を立ててそれを検証するという自由があります。既存の理論に照らすと突飛に思えるような仮説だとしても、そこに何か新たな発見があるかもしれないですから。だからこそ不正をしない、そして批判や疑義にも研究者としての立場できちんと答えるという暗黙のルールがあって、それがコミュニティの一員である大前提です。

Katsuhiko Shirahige 【白髭】2002年にベル研で起こったヘンドリック・シェーンの論文捏造事件では、「小学生でもやらないことを彼はやった」不正調査委員会の議長がこんなことを言ったそうです。つまりそれは、論文を捏造する当人は確信犯的にやるわけで、いくら捏造はいけないと教育をしても、そういう確信犯がコミュニティに混入してきたら防ぎようがないという皮肉にも聞こえます。そう考えると、むしろガバナンスをしっかりやらなくちゃいけないのに、今回の騒動はまったく逆の状況になっていますよね。科学としてではなく、法的な問題とごちゃまぜにされてしまったいま、研究者にとってもありがたくない結果、制度へと向かってしまっているように思います。
 ある方が言っておられたことですが、「基礎研究者は真理を追究することを国民から委託されている」つまり「研究を職業とすることを国民から許されている」のだと。時代は移ろい行くけれども、研究者のマインドとしてはそれがすべてですよね。またそれが研究者のプロ意識の根底にあるべきだと思うのです。私くらいの年齢になると世の中の汚れも少しずつ経験しますから、きれいごとばかり言ってはいられないという側面はもちろんあるけれど。
 山中さんも「若手研究者の自由な発想がイノベーションには必要」と言っていました。若手の皆さんには魂を大切にして欲しいです。ノートの書き方だって知っているし、彼らは未熟ではありませんから。

【小野】ノートの書き方は私も知っているつもりです(笑)。

【白髭】研究者のコミュニティは、正直に生きている人は決して見捨てないと思いますよ。
 「Let it go!」