キャリアパス対談
第10回:木村 宏×來生(道下)江利子

委 員:木村 宏(東工大・科学技術創成研究院)、來生(道下)江利子(第一三共)
日 時:2022年8月29日(月) 14:00~17:15
場 所:東京工業大学すずかけ台キャンパス S2棟4階West会議室

【木村】今日はアメリカへ発たれる直前に東工大まで来ていただき、ありがとうございます。駐在期間はどのくらいのご予定ですか。

【來生】一年半、ニュージャージーに行ってまいります。主人は国内で勤務しておりますので、私が子どもを連れて行くことにしました。駐在員が女性で子どもを帯同するというのは、社内では前例がないようでしたが、うちの子はインターナショナルスクールへ通わせていましたので言語の不安はありませんし、上司や現地のスタッフもサポートしてくれました。

【木村】それは何よりです。駐在員って実は憧れで、イギリスでポスドクをしていた頃に目撃した駐在員の人たちって何だかリッチに見えたんですよね。自分はぎりぎりの生活で研究をしていたので。あの頃の駐在員みたいな暮らしをするのが夢なんですが、いまだにかなえられていないです。

【來生】それはわかる気がします。私も今回は会社の指示で行くので、サポートがあってそれなりに荷物も持って行けますけれど、留学した頃は段ボール2箱しか持ち込めなくて、持っていくものを厳選しましたね。返済が必要な奨学金もありましたし、週に一度食材をまとめ買いして何とかやりくりしていました。

Photo 1【木村】大学などで基礎研究をしている会員の多い分子生物学会の中では希少な企業研究者のキャリアパス委員ということで、來生さんのキャリアパスの話から始めたいと思います。來生さん、学振のDC2に通ったのですね。日本で学位を取得して、最初のポストでNIH枠の学振PD。CellやNatureに出した論文もあり、留学先のスタンフォードから帰国後に第一三共でポストを得てと、順風満帆なキャリアと見る人も多いのではないかと思いますが、やはり苦労されているんですね。

【來生】キャリアパスの少し手前では、実は学部から大学院への進学までに1年かかっています。学部生の頃、何が自分に向いているのかわからず、自分が興味のある職種のアルバイトなども片っ端からやってみたのですが、しっくりこなくて。大学の休憩スペースで休んでいたら、そこで偶然出会った先生にお声がけいただきました。その先生のラボで1年間研究員として技官のようなことをして、無給でしたが色々なことを学べたので、その後修士課程に進学してからは、周囲の同学年の人たちに比べて色々なことを身に着けるのが早かったのだと思います。実験もできましたし、結果として論文や学振の採用にもつながったのかもしれません。

【木村】一見遠回りのようでも、そうではなかったと。

【來生】その先生からは「人生の岐路の場面では辛い方を選びなさい、自分は楽な方を選んで後悔したことがあるから」というアドバイスをいただきました。

【木村】それは深いですね。

【來生】説得力を感じます。論文を出すまでの間、血を吐く思いで必死にがんばりました。3年かけた論文があと一歩のところでお蔵入りになったという苦い経験もあります。一方で、自分自身としてはさほどインパクトのなかった論文が引用してもらえたり。

【木村】どう転ぶかわからないものですね。帰国の際、アカデミアで続けるかどうか悩みました?

【來生】ジョブアプリケーションはアカデミアにも出しましたが、アカデミアへの固執はなく、アカデミアと企業の両方の機会をじっくりと検討しました。最終的に、長期的なキャリアアップなど様々なことを考え合わせて、日本で企業に勤めることを選択しました。

【木村】CellやNatureに論文を出しているとジョブアプリケーションが通りやすいことってあるのでしょうか。

【來生】アカデミアも企業も書類選考には通りやすいように思いました。ただアカデミアの場合は最終選考に残っても、納得のいかない理由で落とされたものもありました。落ちた理由の説明が「マッチしない」だったこともあり、ギャップを感じることがありました。

【木村】それはつい「出来レースか」と疑ってしまいたくなりますね。

【來生】どこを改善すれば良くなるのかというフィードバックや、選考基準と評価の透明性がほしいと思いました。

【木村】なるほど。私はジョブが取れるまでCellやNatureの論文もありませんでしたが、なくても通る時は通るから、気にしなくてもいいのではないでしょうか。そういうところに出して一発逆転しようとすると、かえって深みにはまってしまうかもしれませんし。

【來生】確かに。ジョブアプリケーションはたくさん書きました。電子だったらまとめて作って出せますけれど、手書きで書き直しもあったり、日米で用紙のサイズが異なったり。今でもあるのでしょうか。PDFだとダメだとか、サインがないとダメだとか。

【木村】ありますね。論文をプリントアウトして出せとか、必要書類は紙と電子データ両方で出せとか。選考する人たちは、電子データをシェアして作業するんですけれど。

Photo 2【來生】紙は一体、誰が何に使うのか……。書類の提出をもっと簡素化できると良いですね。
 あと、日本のポストにアプライする際、当時治療中だったスタンフォードのボスに何通も推薦状をお願いするのがとても心苦しかったです。その後お元気になられたので良かったですけれど。

【木村】アメリカだと、ジェネリックな推薦状をアップロードして必要な時にダウンロードできるシステムがあるんですけれどね。

【來生】そんな便利なものが。

【木村】私が採用に関わる際には、できるだけ電子媒体でもらうのと、一次選考の段階では推薦状の提出を求めないようにしています。辛いのは、実験、論文、研究費申請とジョブアプリケーションを、一気にやらねばならない点ですよね。ジョブアプリケーションを書かなくてよければ研究が進むのに、一番研究をしないといけない時には本当に辛いです。電子申請で指定フォーマットはなし、リファレンスネームのみにしてほしいですね。業績リストも要らないのでは。PubMedやresearchmap、Google Scholarなどで調べれば分かりますから。

【來生】私、それで失敗したと思うのが……旧姓の「道下」と「來生」の両方で出しているから、検索で分かれて出てきてしまうんです。

【木村】それ、設定すればつなげて出せる方法ありますよ。

【來生】そうなんですね。ありがとうございます。
 そういえば木村先生ご自身のキャリアパスは? あまり苦労をされた感じがしませんけれど……。

【木村】私、こう見えて結構苦労しましたよ。今話すとサバイバー・バイアスと受け止められてしまうかもしれませんけれど。

【來生】そうでしたか。では順を追って。私が分子生物学のおもしろさに目覚めたのは映画『ジュラシック・パーク』がきっかけでしたが、木村先生はいかがでしたか?

【木村】分子生物学をやる人の分類方法の一つに「昔から生物が好きで、例えば昆虫少年だった人とそうでない人」というのがあると思うんですが、私は特に虫が好きだったというわけでもなく……。博士課程に行った理由は、修士で研究がうまく行かなかったからです。ここでやめたら何も残らないなと。

【來生】「研究がうまくいかなかった」ということも、モチベーションになりうるということですか。

Photo 3【木村】今の学生には、2~3カ月うまくいかないことが続いたら、テーマの変更を検討するよう勧めるかもしれませんが
 あるプロジェクトがうまくいかない時、自分に原因があるのか、プロジェクト自体に問題があるのか、わからないこともありますよね。私の場合、後で振り返ると後者だったのかなと。
 D2が終わってもポジティブなデータが出なくて、3年目に遺伝子実験施設というところの技官に採用してくれて、管理業務をしながら研究を続けました。技官の仕事はやむをえず始めたものの、やってみると意外と良くて、それまで授業料を払っていたのが給料をもらえるようになり、放射線取扱主任者の資格も取れました。5年くらいかかって論文を3本書いて、それで論文博士を取りました。
 それから英語ができないのはまずいと思い、イギリスへ留学しました。そのときは、HFSPの補欠合格で、繰り上がり採用でした。帰国後にパーマネントで准教授のポストが得られましたが、別のところへ行くことにしました。

【來生】パーマネント職でしたのに?

【木村】ええ、技官だった時も入れると、私は人生で二度、パーマネントの職の辞表を書きました。若い時は調子に乗りがちですね。

【來生】ああ……。

【木村】一年くらいしかいなかったのに、当時のボスは快く送り出してくれました。しかしそこからが大変で、任期付きの5年プロジェクトに実質途中から参加する形となり、さらにそこで雇い止めになったんですね。何とか雇ってもらえるところを見つけましたが、それから長いことかかって、ようやく今の職に就くことができました。

【來生】それは確かに大変な道のりでしたね。

【木村】ちなみに、私は企業への就職を何かよくないことのようにとらえがちでした。博士課程に進んだ以上、アカデミアで生き残らないといけないという雰囲気の中で大学院生時代を送った世代で、大学院でぱっとしなかったら教員になろうと思って教職免許を取りました。ところが、大学院生の頃に高校の非常勤講師をやってみたところ、私の教え方はいまひとつで、高校教師もぱっとしなかったというか……。
 それで思い出したのですが、大学の授業で「企業社会論」という講義のとりまとめを担当したことがあります。社会で活躍しているいろんな人を呼んで学生に話をしてもらい、学生のキャリア設計を支援するというものです。勢いのあるベンチャーの人などにも来てもらったんですが、授業に出た学生のアンケートで「次にも呼びたい人」つまり後輩にも話を聞かせてあげたい人のダントツだったのは、ある大手一般企業の部長でした。私と同じ世代の人で、民間就職には抵抗があったけれど、でも研究ができるならいいかと思って会社に入った。その後マネジメントの部署に移ることになって、研究をしたかったけれどマネジメントをがんばってみたら意外とやりがいを感じることができた、という話でした。「良いことも悪いことも、外で見ていた時にはわからなかったことが中に入るとわかることもある」というコメントは、私にも響きましたが、学生たちにとって印象的だったようです。
 私自身、現在の職を得るまでの間に、ポスドクで海外に行って、奨学金を返済しながら研究を続けた時期もあったし、帰国してからは雇い止めを受けた経験もあります。けれど、与えられた環境でベストを尽くし、苦労しながらがんばっていると、不思議と助けてくれる人が出てくるんですね。「捨てる神あれば拾う神あり」、めげるなという話です。
 では來生さん、最後に若い人たちに向けて一言。

Photo 4【來生】私は外に出て、やりたいもの、目指すもの、価値観、キャリアや選択肢が広がりました。今回はグローバルプロジェクトマネージャーを拝命しました。胃がきりきりしています。でも、成長できる機会かなと。
 若手の方々には、視野を広げる経験ができるチャンスを自分からつかみに行ってほしいと思います。