キャリアパス対談
第11回:加納純子×島田 緑

委 員:加納純子(東大・総合文化)、島田 緑(山口大・獣医)
日 時:2022年11月30日(水) 15:15~17:20
場 所:幕張メッセ国際展示場 会議室4

【島田】コロナ禍でなかなか学会でお会いできませんでしたね。今、ご自分のラボはどんな感じでいらっしゃいますか。

【加納】スタッフも入れると、最近は総勢10人くらいですね。院生がほとんどです。

【島田】それはいいですね。うちは学部生3名、大学院生1名、特命助教とテクニシャン1名ずつです。

【加納】島田さんはラボの立ち上げの時ってどうでした? 独立して、もうどのくらい?

【島田】5年半になります。一人での立ち上げでした。講義・実習に加えて、実験、研究費の申請、学生の指導なども、全部をひとりでやっていたので、本当に大変でした。いろいろなPIの方に相談しアドバイスをいただきながら、研究室の体制を作ってきました。

【加納】現状では、PIってマルチプレイヤーでなければならないというところはありますね。

【島田】ラボの状況によりますが、そう思います。ですから健康であることはとても大事だと思います。メンタルも強くないと乗り越えられないと思うこともありました。それと、技術を持っている人と共同研究を進めたりできる人脈の構築も重要だなと思います。

【加納】交渉能力や社交能力は、PIになるまでの間にも重要ですね。

【島田】今日、分生(MBSJ2022幕張年会)のブースを色々見ましたら、文科省が技術支援をやっていますね。薄々知ってはいましたが、利用を具体的に考える余裕がありませんでした。そういう技術支援というのはたくさん出てきているので、今後活用できれば小さなラボでも研究を大きく展開できるのではないかと希望が持てました。

Photo 1【加納】我々の研究は、内容にもよりますが、たとえお金や人が少なくても、細々とでもできるのがいいところです。「PIになるまでの道はコンペティティブで、自分にはできそうにないから」と、若いうちからあきらめるのはもったいないと思います。「研究が本当に好きならば、一生懸命がんばれば、道は開けるのにな」と思っています。
 ところで、島田さんはどのような経緯でPIになろうと思いました?

【島田】指導教員だった先生が異動されるということで、当時(名古屋市立大学医学研究科)の研究室に新しい研究グループが立ち上がる前に、私を含め残ることになったメンバーは新しい場所を探さなくてはならなくなったというきっかけがあって初めて。PIになるかならないかの迷いの中で、「やりたい研究を好きなように進めるには、結局PIになるしかない」と、ある研究者からのアドバイスが決め手になりました。

【加納】それまではPIになろうとは思っていなかった?

【島田】はい、PIになろうと決心がついたときは、まだ子供が0歳と4歳でした。十年先、二十年先を見越して研究者としてのキャリアを考えていればよかったのですが、夫が遠方で単身赴任をしておりワンオペで研究と育児を両立している状況だったので、目の前の研究を進めることと、子供と自分が毎日健康に暮らすだけで心身ともにヘトヘトでした。特に子供が小さい時は研究時間が圧倒的に短くなり、自分だけ置いていかれるような気持ちで焦りました。こういう状況の時に、研究を続けるという強い気持ちをいかに持ち続けられるかが重要だと思います。PIになってみると、ラボを立ち上げる時は特にいろいろな苦労がありますが、PIとしてのやりがいや楽しさの方がはるかに大きくて、様々な選択がある中で今進んできた道が一番よかったのかなと思っています。ですので、育児中の研究者は特に迷いがあると思いますが、強い気持ちを持って研究を続けてもらいたいですね。自分が目指したい人、成功している人がどのようにうまく両立しているかを知って、できるところは真似をすると良いと私は思っています。

【加納】これは賛否両論あると思うのですけれども、男女の違いというのがその辺りの人生設計にも影響しているような気がします。アンケートを取ってみないと確かなことは言えませんが……PIになっている男性は、ポスドクくらいの時から、30代中盤にはPIになるという意識をもって研究している人が多いです。実は、私がこれまでに受けた面接で男性審査員から出た質問として、「5~10年後どうなっているか」というものがとても多くて、その都度違和感を感じていました。男性と違って多くの女性は、「今から5年後10年後のことを考えてもしょうがない」と、その時に最善と思う道を選び、目の前のことを一歩一歩こつこつ進めていく傾向にあるように感じます。
 今日、キャリアパス委員会の「アカデミアからの起業」で講演されていた方が、以前分子生物学会の年会でポスター発表をしていた時に「ここにあるポスターのうちどれだけの発表者がPIになるのかなあと思った」と仰っていましたが、少なくともここにいる私たち二人は、ポスター発表の時にこの先10年後とかに研究者としてサバイブできているかどうかなんて考えてもいなかったのではないですかね?

Photo 2【島田】そうですね。いろいろな発表を聴き刺激を受け、面白い研究成果を学んで純粋に楽しかったとか、新しく知った情報を今の自分の研究に取り込んでみようとか、そんなことしか考えていなかったように思います。

【加納】私はちょうどポスドク一万人計画の世代で、同年代かつ同分野の人が多かった時期を経験していて、その中からぽつぽつとPIになる人が出てきたのが30代中盤の頃でした。任期のないテニュアの助教だったのですが、35歳を過ぎた頃から上司の先生(教授)に「40歳までに独立できなかったら研究者をやめてしまいなさい」と何度か言われました。私より少し上の世代までは、自分の研究をするということは研究室を持つということであり、そうしたいなら40歳までに研究室を持たないと失格という意識が少なからずあったように思います。でも、私から言わせてもらえば、40歳までに独立するというのは研究者人口が比較的少ない世代では十分可能かもしれませんが、私のように同世代の研究者が大量に存在する者にとってはかなりきつい状況でしたね。40歳くらいまでに独立するのがいいというのは今も同意しますが。
 ただ、私がPIになろうと思ったのは、そうやってボスが叱咤激励してくれたことだけが原因ではなかったと思います。研究仲間から少しずつPIになる人が出てきたこともありましたし、だんだん自分がやりたいテーマがボスと違ってくるようになって、自分の研究室を持ってメンバーが複数いる状態で研究したほうが、一人で研究するより速く進むだろうと、35歳を過ぎてからようやく思えるようになりました。そして、50回も人事公募に応募(アプライ)して50回目でやっと阪大のテニュアトラック制度で独立できました。

【島田】思い出せば私も同じようなことを上司の先生から言われました。50回アプライするというエネルギーがすごいですね。応募書類を書くだけでかなりの時間と労力が必要だと思いますし、良い結果が出ないと心が折れそうになることをこれまで私は経験していますが、出し続けることができた原動力は何だったのですか。

【加納】同年代や先輩・後輩に恵まれたのだと思います。OさんやSさんなどは、私の中ではキーパーソンでした。Oさんと私は、年齢はあちらのほうが一回りくらい上ですが、私が東工大で助教をしていた時に知り合い、その後ポジション探しで苦労した時期がほぼ一緒でした。Oさんがいい論文を出して、先にN大へ行かれました。SさんはPIになったのは早かったですが、よく一緒にバカ話などもしていましたね。皆さんとても頑張っていました。自分もPIになった人たちの仲間に入って活動したいと思いました。私だけおいていかれるのはイヤ、私にもできる、という、良い意味でのプライドが働いたとも思います。たださすがに何十回も落ち続けると、応募の後半は辛くなってきましたね。これがダメならもう独立は無理かもしれないと思った時に、通るものなんですね。ある意味、開き直りの脱力感がいい効果をもたらしたのかな。
 とはいえ、研究者の全員が全員、マルチプレーヤーを強要される今の日本的なPIに向いているわけではないと思います。実験は大好きだけれども研究費を獲得することは苦手というような人にも、研究を続けてほしいですよね。PIにならなくてもサバイブする道は、アカデミックにも例えば研究員などがありますし、もちろん企業の研究職もあります。企業には博士号を取ってから行くのがおすすめですけれども。修士だとどこに配属されるかわからないところがありますので、絶対に研究職に就きたいならば博士号は取っておいたほうがいいと思います。今日の「アカデミアからの起業」は、全員博士号を持っている方が様々な立場からディシジョンメイキングの話をしてくれて、よかったですね。

【島田】キャリアパスの多様性と博士号の重要性を示してくれましたね。

【加納】最近、私のラボの学生の話を聞いていても、人生の選択に迷う若者が多いと感じます。「将来不安」とネガティブな局面を言いがちです。なぜかというと、ネットにはネガティブな情報が多くて、若者にはキャッチされやすいんですよね。一般的に今の人生が充実している人は敢えてネットで叫ばないです。それを勘違いして、ネガティブな情報だけで色んなことを判断しているのは残念です。例えば、企業に行けばアカデミアより安定とは限らないですよね。そもそも、安定かどうかで人生を選択するのではなく、好きか嫌いか、やりがいがあるかどうかで選択をしてほしいなと思います。

【島田】そうですね。大手製薬会社に就職しても研究所が閉鎖となり、新たに別の製薬企業の職を得たけれど、また別のところへと、変わることもあるようです。研究職になりたかったのに営業に配属されるとか、希望通りにならないこともありますよね。企業と比べてアカデミアは自分が好きな研究を自由にできるというところが大きな魅力だと思います。アカデミアでテニュアなポジションにつくまでは不安定で心配なのは非常によくわかりますが。

Photo 3【加納】博士課程に行くのが不安なら、企業就職だって本来は同じように不安なはずなんですがね。企業もアカデミア研究も、頑張っている人は評価されるし、さぼっている人は置いていかれる、単純に同じ世界です。企業に行ったからって暇になるわけではありません。休日出勤や残業だってあります。いつ倒産するかも、いつクビになるかもわかりませんし、多くの企業では常に監視されています。研究室の実験は自分で計画できるから、アカデミア研究の世界のほうがかなり自由なのではないかなあと思います。
 実は私は修士課程の時、NHKに入ってNHKスペシャルを作りたかったんです。サイエンスのことを一般の人に伝えたくて。それで知り合いのディレクターの人に話を聞いてみたら「研究者は研究をしてください」と言われました。そこですんなり「確かに」と受け入れられたのは、研究が好きなのに今やめて良いことはあるのか?と思ったからですね。それに博士号を取ってからも企業には行けるし、博士号を取ればアカデミアにも企業にも行く選択肢がある。また、博士号はワールドワイドに通用するけれども、修士号はまだそうではないと感じられました。

【島田】私も修士の時、研究が好きで、学会などで楽しそうに熱く研究をしている人たちに出会ったり新しい情報を知ったり、憧れの有名な研究者の話も聞けたりして、刺激を受けましたし、ファーストオーサーで論文を出したいという思いもありました。それで、研究をするには博士号が必要だと思い博士課程に進みましたが、博士号を取ってから研究を続けられるかどうかを考えると、やはり漠然とした不安はありましたね。この先ライフイベントとの兼ね合いなどが出てきた時、どこまで研究をやっていけるのかと。それで PI になることはあまり考えられなかったですが、その時考えても答えが出ない不安のために、研究を諦めたくないと思いましたね。長期のビジョンを持つのは難しい場合もあるので、その場面場面で状況に応じて最善だと思う道を選択するしかないですね。

【加納】目の前のことをこつこつやるしかなかったということですね。

【島田】はい。博士号を取った後にポスドクを3年やることだけは決まっていましたが、そこから先は出た結果次第という感じでした。

【加納】今の若い人は、そういう不安定なことにチャレンジできない、したくないという考えになってしまいがちなのかもしれません。もったいないですね。島田さんが以前キャリアパス委員会企画で「修士の人が博士課程に進むかどうか悩んでいる時、ネット情報を頼りにしたり、同年代や研究職に就いていない人に話を聞いたりするより、今まさに研究をしている現役の人に相談したほうが良いのでは」という話をしていて、本当にその通りだと思いました。情報を得るところが狭すぎる人が多いのは気にかかります。同年代やラボのひとつ上の先輩が就職するから自分も、というのはちょっとどうなのかなと。

【島田】最初は研究の道に進もうと思っていたのに、周囲の人の話を聞くうちに自信がなくなってしまうということも聞きます。経済的に不安定という声もよく聞きますね。

【加納】我々もお金のことをまったく考えていないわけではないので、そこは誤解しないでいただきたいと思うのですが……私が若手研究者から相談を受けた場合には、35歳くらいまではとにかく自分がやりたいことにチャレンジして一所懸命がんばることを勧め、35歳を過ぎたら自分の能力を見極めて、ディシジョンをしたほうがいいとアドバイスするようにしています。

【島田】非常に参考になります。女性のPIはどうしたら増えると思われますか?

【加納】今、女性のPIを増やそうという動きがありますから、ラッキーと思ってそれに乗れば良いのではないでしょうか。修士の学生が博士課程に進学しないのと、女性がPIにならないのって、どこか共通した「漠然とした不安」のようなものがあるように感じます。修士の学生については、指導教員がいて授業料を払って教えてもらえる立場なのだから、研究が好きなら続けてやれば良くて、お金に関しては色んな制度の利用を考えれば良いと思います。修士の時点で博士課程への進学について自信や適性うんぬんを議論する段階にはなくて、博士号を取ってから「給料をもらって研究する自信があるかないか」を考えればいいと思います。

【島田】PIに関しては、サポートされるシステムが整えられてきていますね。今からPIになる人は独立するサポートなど、支援は多いです。

【加納】お金については国のサポートがありますが、人材確保は皆さん苦労していますね。いかに学生やスタッフを集めるかというのが。

Photo 4【島田】地方大学では人材確保は切実な問題です。人が少ないので、今のラボメンバーそれぞれに対し細かいところまで指導し、得意とすることを伸ばして、うまく協力し合える体制を作っています。PIになった当初はどのように体制を作ったらいいのかわからなくて、PIとして成功されていらっしゃる方々の話を参考にしました。
 現在ポスドクでこれから PIを目指そうという人には、どのようなアドバイスができるでしょうか。

【加納】まず一番大切なのは、若い時は日々がんばってデータを出すこと。そして、いい研究成果、いい論文を出すことはもちろんですが、それを見てもらえる環境が重要だと思います。分生の年会みたいに大きな学会で多くの聴衆の印象に残る発表をして、自分の分野以外の人にも知ってもらう、自分の存在をアピールするということですね。見てくれている人は必ずいます。そしてそこからひそかにリクルート合戦が始まることもあります。最重要ポイントは、「とても面白かった!」と言われる学会発表をすること。私の大好きなフィギュアスケートにたとえるなら、国際大会に出て良い成績をあげて注目されることがその後の成績につながるというのと同じです。研究を頑張ってそれをベストな形で発表して、顔と名前を売る。さらに、懇親会や飲み会にも参加してフィードバックを得る。お子さんが小さい人は学会の時などのランチタイムに交流する。学会のコーヒーブレイクだけだと、ちょっと足りないかもしれないですね。今PIになっている人は社交的な人が多いように思います。人脈を作るためというよりも、もともと人間味のある交流が好きで、他の研究者と意見交換するために自然とやっているんですね。

【島田】そういう場があまり得意でない人は、どうすればよいでしょう。

【加納】どのみち研究は一人でやっていけるわけではないので、人間関係の構築が苦手な人も何とか頑張って乗り越えてほしいですね。ただ、そういう場で自分から声をかけるのが苦手な人は、にぎやかな人に寄り添ってみるのも手だと思います。学会であれば、飲み会に誘ってくださいとお願いしておくとか。

【島田】それはよい考えですね。特にPIになってから人間関係の構築が一段と重要だと痛感することが多いです。PIになれるかどうかということについては、面白い研究をするという強い志しと、がんばりどころでがんばれるか、ということが重要だと思います。例えば論文のリバイズの時には、きちんと計画してどの実験をいつまでに終わらせないといけない、そのためにはどれくらいがんばらないといけないかを把握して、全力で取り組めるかというような……。

【加納】実際にPIになっている人たちを見ると、365日24時間というわけではないけれども、ここぞという時にパワーを発揮して、睡眠を削ったり週末遊ばずに取り組んだりしていると思います。それも大抵はイヤイヤというわけではなく。飛びぬけて優秀でなくても、研究が好きでこつこつと努力して、研究も学会発表も交流もがんばっていれば、いつかPIになれると思うんですよね。

【島田】好きなことなら覚悟を決めて全力で一生懸命やれば道は開けると思います。研究者って他の人にはできない何かすばらしい発想や技術などが必要と思われるかもしれないですけれど、そうでもなくて、やるべきことをやっていれば研究者としてやっていけるものではないかと思います。小さなデータを見て、それが理解できるデータにつながったとき「こういうことだったのか」と発見して嬉しくなります。それだけですぐ論文にできるわけではないけれど、その小さな喜びの積み重ねで、大きな論文に展開する可能性があると思います。

【加納】世界で一番に何かを発見したいという思いはずっとありますね。自然の神秘的なメカニズムを見つけて世間に知らしめたいと。また研究者は、自分でテーマも国も職場も選べるので、とても自由な職種だと思います。若い学生さんには是非研究の世界に飛び込んできて欲しいですね。