『自己変革~石浜明先生を偲んで~』

石黒亮a、村上勝彦b、五十嵐和彦c

石浜明先生の歩み
石浜明先生 写真1(写真1)特別講演のためにJawaharlal Nehru Center for Advanced Scientific Researchを訪問された石浜先生(中央)とインドの共同研究者・Dipankar Chatterjee博士(左)、Tapas Kundu博士(右)(2012年3月インド・バンガロール)  石浜明先生は1973年から京都大学ウイルス研究所、1984年から国立遺伝学研究所、2004年から法政大学生命科学部で研究室を主宰され、RNAポリメラーゼを中心とした細胞・生命の全体像を理解すべく研究を進められました。研究を通して学生や院生を情熱的に指導されてきた先生ご自身は日本最初の分子生物学の大学院生として、名古屋大学分子生物学研究施設で修士号、博士号の研究を江上不二夫先生、大沢省三先生、山田常雄先生のもとで学ばれました。1963年から亀山忠典研究室(金沢大学)でHeLa cellからのRNAポリメラーゼI、II、IIIの精製と同定(文献1)、1967年からJerard Hurwitz研究室(米国Albert Einstein College)で大腸菌のRNAポリメラーゼの機能解析などの革新的な研究をされました。結核の特効薬であるリファンピシンの標的がRNAポリメラーゼである事を発見された京都大学の由良隆先生から、その生化学的な解析を依頼され、1970年に京都大学ウイルス研究所・遺伝部に助手としてまず着任されました。そこでの研究が高く評価され、1973年に京都大学ウイルス研究所・化学部の助教授に推薦され、独立研究室を持たれたのが石浜研の始まりでした。今年で石浜研創立、50年になります。
 石浜先生は、日本分子生物学会の立ち上げにも7名のワーキンググループ(三浦謹一郎、関口睦夫、松原謙一、吉川寛、志村令郎、溝渕潔、石浜明)の一人として参加され、1994年には第17回分子生物学会大会長を務められました。また、国際交流にも尽力され、日本学術振興会日印合同科学評議会委員としてインドとの共同研究や各地でのセミナーやワークショップの開催を後援され、インドの科学と人材育成にも多大な貢献をされました(写真1)。法政大学退職後は同マイクロナノテクノロジー研究センター客員教授としてご自身の研究の集大成を目指されてきましたが、2021年6月から膵臓癌との闘いが始まり、ついに2022年12月23日にご逝去されました。
 

 石浜先生は大腸菌RNAポリメラーゼ、インフルエンザ等各種ウイルスRNAポリメラーゼや逆転写酵素、分裂酵母RNAポリメラーゼを主な対象として遺伝子発現制御機構に関わる研究を進められてきました。京都大学では、各酵素のサブユニットを精製し、酵素を再構成して活性やプロモーター認識選択能などを調べ、その責任部位を特定していく生化学手法を世界に先駆けて確立されました。遺伝研では各RNAポリメラーゼの再構成実験、分子解剖を中心に研究を進め、大腸菌RNAポリメラーゼではαサブユニットのC末端領域(αCTD)が転写因子による活性化シグナルを受容することを発見し(文献2)、その後多くの国際共同研究を通して転写因子やプロモーターの分類、RNAポリメラーゼ側の転写因子結合部位の多様性、そして、αCTDのNMRによる立体構造の解明(文献3)などに発展しています。遺伝子発現調節の基本概念の確立など、分子メカニズムの解明への指向性と合わせて、石浜先生は常に「全体像を理解する」ということを目標に掲げられ、大腸菌など、細胞が様々な環境に応答してどう遺伝子発現が変化するのか、その変化をもたらす転写因子は何か、その変化の生物学的意義はなにか、追究されてきました(文献4)。立ち上げに参画された法政大学生命科学部では約300種におよぶ大腸菌全転写因子の精製とゲノム結合部位のマッピングを進められました。この膨大な量の研究は、研究室に配属された学部課程1年の学生に、それぞれひとつずつの転写因子を卒業までの4年間で解析してもらうという大変ユニークな方法で行い、それはまた学部生に最先端の研究を大学入学の早い段階から経験させたいとの石浜先生の思いから出来上がったシステムでした。ここでは各種の情報科学の技術も導入し、転写因子−遺伝子ネットワークの全貌の理解に挑戦されてきました。細胞の個性とその変化を遺伝子のネットワークに基づいて理解する、その研究情熱は最後まで変わることはありませんでした。
 

石浜研での研究生活
 著者らは、遺伝研で石浜先生から研究教育を受け、その後、それぞれ研究者として歩む際の礎となりました。

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〔五十嵐〕私は、医学部の講義実習を通して遺伝子発現に興味をもつようになり、基礎研究に従事したいと考え博士課程に進学したものの、研究テーマが期待したものとはズレがあって悶々としていた頃のことです。「蛋白質核酸酵素」や「生化学」の総説で石浜先生のRNAポリメラーゼのご研究を読み、こういう基本的反応に基づいた研究を学びたいと考えたのが、私の研究の始まりでした。受託大学院生として参加できないかとお手紙や電話で相談を申し上げ、見学の許可を頂いたのが1988年初夏の頃でした。緊張して遺伝研の古いRI実験施設の二階の研究室にうかがうと、石浜先生から直接研究のご紹介を頂き、私の考えや方向性などに関する質問に答えさせて頂き、助手を務められていた藤田信之先生、永田恭介先生から研究の紹介をうかがいました。石浜研で進んでいた研究は医学から一見遠いものではありましたが、こういう反応を理解しないことには医学は進まないだろうという予感も強く感じました。その日の夕方、川端のお寿司屋さん(嶋本伸雄先生もご一緒して頂きました)で幸いなことに石浜先生からお許しを頂き、9月頃だったでしょうか、仙台から三島に引っ越し、研究室に参加させて頂きました。石浜研ではたくさんのことを学ばせて頂きましたが、特に、「遺伝子発現研究の広さとつながり」と「研究と討論の平等性」を学ぶことができたことは、私の人生の根となりました。医学により近いインフルエンザウイルスRNAポリメラーゼの研究に参加できればと希望していましたが、まずは大腸菌RNAポリメラーゼの精製から生化学の基本をしっかりと学ぶようにとの石浜先生の指導方針で、ωサブユニットの再構成を目指して1キロぐらいの大腸菌から精製を始めました。石浜先生との日々の討論、石浜研と遺伝研で見ること学ぶこと、そして触れる皆さん、全てが新鮮で刺激的で、夢のような博士号研究を進めることができました。論文原稿には鉛筆で修正や提案を頂き、改訂サイクルを幾度も繰り返すことで、科学論文の基本をたたき込んで頂きました。promoter selectivityを評価しながら、その先には常に「全体像」を意識して研究が進む様子から、遺伝子発現をベースにして細胞の分化や応答を理解することの重要性を信じるようになり、そしてその理解は必ず病態の理解につながると確信できたのが、私のその後の研究にとって大きな一歩となりました。
 

石浜明先生 写真2(写真2)バクテリアRNAポリメラーゼ転写会議での、石浜先生(テーブル右上)を中心とした議論の様子(1995年、米国バーモント州)〔村上〕私が石浜先生と始めてお会いしたのは、総合研究大学院大学の入学説明会の時でした。山口大学の修士課程を卒業した後、分子生物学の分野に進みたいと思い、石浜先生を突然訪ね研究のお話を聞かせて頂きました。先生から『自分の研究をどれほど知っているのか』と聞かれた際、素直に『まったく知りません』と答えてしまった無礼な学生にも、ご自身の研究を分かりやすく説明してくれました。『研究室を選ぶ際、研究分野を決めたら、その分野で世界トップの研究室に進みなさい。石浜研究室は、RNAポリメラーゼの研究では世界のトップです』と先生が自信を持って言われたのを今でも鮮明に覚えています。研究室で過ごした3年間は、石浜先生が分子生物学会やウイルス学会の年会開催などの準備で多忙を極めていたため、先生への研究結果の報告は1〜2ヶ月ごとでしたが、その時に良い結果が出ていると、『美しい結果が出ているね』と褒めて頂いたことがとても嬉しく、その後の研究でも実験結果をいかに美しく見せるかを念頭に置いて実験計画を立てるようになりました。研究室在籍2年目に、米国バーモント州で開催されるバクテリアの転写会議に参加した際、参加者の発表の半数以上は、五十嵐さんが発見した、大腸菌RNAポリメラーゼのαCTDと転写因子やDNAとの相互作用による転写制御(文献2)を進展させたものでしたので、それらの話を聞くたびに、石浜先生の名前が出てくるのを同じ研究室で働く学生として誇らしく思って見ていました。この会議の休憩時間に、研究者がピクニックテーブルを囲みながら、今後の研究テーマについて議論していた際、石浜先生がその中心にいるのを見て、「やはり石浜研究室は、世界のトップなのだ」と実感したものでした(写真2)。総合研究大学院大学の入学説明会で、石浜先生は『自分はRNAポリメラーゼが大好きで、愛しています』と言われた際、RNA転写酵素になんでそこまで愛情を注げるのかと不思議に思っておましたが、石浜研で過ごした3年間ですっかりその魅力に取り憑かれてしまい、現在でもRNAポリメラーゼの研究を続けています。
 

〔石黒〕修士の頃、進学を考えていた私は、不安を胸に深夜バスと新幹線を乗り継いで三島の遺伝学研究所までインタビューに伺いました。真新しい実験室の匂い・おやつに頂いた桃の香り・ご馳走になった鰻重・・・不思議と嗅覚の記憶は強く残るものなのでしょうか。初めてお会いした先生の「ウチはちょっと頑張ればすぐに論文になるテーマがゴロゴロしていますから、全然心配しなくて良いですよ」とのお言葉と笑顔が印象的でした。先生のおっしゃった「ちょっと」は、私の解釈と若干異なることに後日気付くことになるのですが、当時は無邪気に感心し喜んでいたものです。入所当日、教授室で「ウチに入るのは簡単だったかもしれないけど、出るのは簡単じゃないから」のお言葉に笑顔は無く、即日研究生活がスタートしました。その後、卒業・就職などなど、時を重ね研究内容も少しずつ変わってきましたが、先生との関係性はその日以来少しも変わらなかったことに安心感と感謝の念を抱いております。昨年夏、猛暑に倦んだ先生が「軽井沢の涼しい木陰で論文を読みながら静養したいねぇ」とおっしゃるので、「静養するならお仕事は持って行かないほうが?」と言うと、笑われました。そういう訳にはいかないとのこと。弟子の研究時間を削るのを極端に嫌う先生にしては非常に珍しいお誘いで、ご一緒するのを楽しみにしていたのですが、ご体調の都合で叶わなかったのを今でも残念に思っております。

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 故人を知る全ての人の想像に違わず、石浜明先生は研究を他の何より優先させておられました。ご自身の生活や体調も研究への情熱以上のものでは無かったのかも知れません。私事はあまりお話しにならなかったので、プライベートと仕事をきっちり分けているものと思い込んでおりましたが、最近意外な事実がわかりました。我々門下生を含め、多くの関係者は石浜先生の家庭でもよく話題に登り、研究についても常日頃お話しされていたそうです。先生は高校時代、生物クラブを主催され、名古屋城のお堀の微生物を観察されていたとのこと。石浜研の原点はそこに端を発しているのかも知れません。聞けば奥様もクラブの後輩であり、先生の情熱を理解し、長年支えていらっしゃったものと思われます。常に研究中心の姿勢は昨今家庭で求められる理想像とは異なるかも知れませんが、我々にとってまたと無い師匠であり良き理解者でした。
 

 研究には常に峻厳な姿勢でありましたが、中でも先生とのディスカッションは一入でした。入門して皆一番初めに驚くのがそれで、誰にでも見境無く真剣に向かって来るのです。研究室のスタッフでも学生でも研究生でも所属が異なっていても全く関係ありませんでした。ある意味平等だったのだと思います。あまりの剣幕に皆、予め関連論文を網羅し実験データを精査・解釈するなど“武装”を余儀なくされた様に思います。おかげでOBOGは誰とディスカッションしてもどんな厳しいことを指摘されても動じない身体にして頂きました。厳しい反面、有用なデータは余す事無く拾われて好意的に解釈され、次の実験、そして論文に繋がったと記憶しております。自分が気付かなかった点を指摘されるのは本当に悔しいもので、次回に向けて励む原動力となりました。最近ご本人から、そのディスカッションについて「自分一人の能力には限界があります。チーム全体、研究室全体のレベルを向上させる事が大切なのです」と伺いました。膵臓癌の診断を受けた後もやはりご研究第一で、病院の待ち時間もどこかのジャーナルに頼まれたレビューに充てておられました。抗がん剤の点滴を受けている間の時間がもったいないので、その間に討論するデータを持ってくる様にと頼まれるのもしばしばで、お体にはかなりの負担だった筈ですが、研究戦略に想いを巡らせている間は気にならないご様子でした。
 

石浜先生のメッセージ
 石浜先生は「自己変革」をモットーとされてきました。若かりし時に情熱をそそがれた学生運動の宿題をうちに抱えられていたのでしょうか、社会との関係、社会への貢献を重視されました。教育に精力を注ぐことで各自の変革を促し全体のレベルをあげようとされたのも、科学者としての社会的責任を負う決意だったと思われます。また、細菌、ウイルスや真菌RNAポリメラーゼなどの研究にも取り組まれたのは、医療への波及も念じてのことだったようです。一見RNAポリメラーゼ一筋に見えますが、先生ご自身の自己変革によって研究テーマはタンパク質精製、分子解剖から遺伝子ネットワークまで、問題意識を積極的に変える努力をされていました。その際、芸術も含めた異分野との交流や新技術の導入を学びの端緒にされたそうです。石浜先生から我々に向けて、「指導者は教育と研究を通して若者に夢と希望をあたえなさい」「異分野の人と積極的に接触をして、他分野との交流と協業で新しい研究法を生み出しなさい」「主体的で息の長い研究を目指しなさい」「10年先の研究を考えなさい」という宿題を頂いています。日本の科学の環境は厳しさをましつつあり、また努力がもたらす成果や効果も逓減しつつあるようにも思われます。こういう時にこそ、自己変革が求められるように感じます。新しい仲間を得て、環境を変え、方法を変え、自己変革を進めること、難しいことですが、私たちも周りに伝えていきたいと考えています。
 

プログレスリポートと最後の講義
 昨年(2022年)5月、国内外の同門有志(27人)で石浜先生を囲み、2日間の日程で石浜研究室プログレスリポート会を開催しました(写真3)。師匠に日頃の無沙汰を詫びつつ研究内容を披露するという和気藹々とした雰囲気でスタートしましたが、やはり同じ根を持つ研究一筋の皆様。次第に熱を帯び、真剣な研究討論が展開されました。師から受け継いだ情熱はまだまだ冷めるどころでは無い様です。先生はその様子を楽しそうに眺めておられました。この会の最後に、石浜先生からこれまでのご研究を総括した貴重なお話を1時間に渡りして頂きました。この石浜先生最後の講義は公開されております(https://www.youtube.com/watch?v=Qkr-eKIVe9g&t=2909s)。
 

 石浜先生の棺には先生のお好きだったお花の他、幾つか論文を添えてお見送りしました。喜んで頂けたと思います。先生のご葬儀には、日本国内だけでなく、これまでの先生の国際的な活躍を示すように、海外からも多くの追悼の意が届けられました。研究を愛し理想を追い求めた先生の姿勢は多くの門下生に受け継がれ、さらにその教え子の皆様へと続いております。石浜先生、長い間お疲れさまでした。天国で大好きなRNAポリメラーゼのお話を分子生物学の創設期にご活躍された研究者の方々と楽しんでしてください。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 

  1. Ishihama, A. RNA polymerase of HeLa cells. Biochimica Et Biophysica Acta Bba - Nucleic Acids Protein Synthesis 145, 272–283 (1967).
  2. Igarashi, K. & Ishihama, A. Bipartite functional map of the E. coli RNA polymerase α subunit: Involvement of the C-terminal region in transcription activation by cAMP-CRP. Cell 65, 1015–1022 (1991).
  3. Jeon Y-H., Negishi, T., Shirakawa, M., Yamazaki, T., Fujita, N., Ishihama, A. & Kyogoku, Y. Solution Structure of the Activator Contact Domain of the RNA Polymerase α Subunit. Science 270, 1495–1497 (1995).
  4. Ishihama, A. Building a complete image of genome regulation in the model organism Escherichia coli. J. Gen. Appl. Microbiol., 63, 311–324 (2017).

 
〔石浜明先生 最後の講義〕
「転写制御の全体像の解明を目指して」
(2022年5月15日 法政大学マイクロ・ナノテクノロジー研究センターにて)
https://www.youtube.com/watch?v=Qkr-eKIVe9g&t=2909s

石浜明先生 写真3(写真3)石浜研究室門下生が集ったプログレスリポート会(2022年5月;東京)(石浜先生:前列左から3番目)

a. 法政大学 マイクロ・ナノテクノロジー研究センター
b. ペンシルバニア州立大学 生化学―分子生物学部
c. 東北大学大学院医学系研究科 生物化学分野