春です。新学期です。
かつては日本も秋入学でしたが、日本人のメンタリティーには、桜咲くこの季節を節目とするのが合っているのでしょうか、明治初頭には9月入学だったものが、1921年頃から4月入学に移行しました。日本分子生物学会の第18期は2013年1月から始まりましたが、この3月末に臨時の理事会を開催しました。第17期からの申し送り事項になっていた科学論文不正問題に関して、学会として全力で取り組むためのアクションについて議論を行いました。追って研究不正を防止するための方針を発表する予定です。また、次の12月の年会では、近藤年会長のご高配により、3日間の会期の間毎日、研究倫理についてのセッションが設けられる予定で、数カ月かけてその準備を進めます。多くの方々にご参加頂き、この問題についての情報や意識を共有したいと思います。
ところで、元東京大学総長の蓮見重彦先生のご著書『私が大学について知っている二、三の事柄』の中に、次のような一節があります。
文化とは、その「稀なるもの」、その「異質なるもの」を擁護しうる多様性によって、その質を高めるものにほかなりません。そして、そのような社会が、真に独創的な個体を生むのです。それに無自覚なまま、人を惹きつける魅力もなしに、ひたすら「独創的であれ」と説く人びとの退屈さは、社会そのものの退屈さの反映にほかなりません。教育とは、何にもまして、「魅力」の体験にほかならないからであります。「魅力」とは何かを教えるのではなく、この世界は何かに惹きつけられたり、誰かを惹きつけたりするという瞬間がまぎれもなく存在するのだということを、実践的に体得したり、体得させたりすることが真の教育であるはずです(「惹きつける力について」より。太字は筆者による)。
未来の生命科学者、分子生物学者を育てる上で、研究を遂行するのに必要なスキルを伝授し、トレーニングすることは絶対的に必要な要件です。この「スキル」の中には、様々な実験手技だけでなく、研究マネージメントや、論理的思考などが含まれます。でもおそらく、もっと根源的に必要なことは、科学の世界に、まぎれもなく「魅力」が存在する、ということを伝えることなのではないでしょうか。科学の「魅力」は、科学者それぞれの好みもあると思いますが、皆その「魅力」に取り憑かれて、それを根源的なエネルギーとして、日々の営みを行なっているのだと思います。
私の場合で言えば、大学院の1年目で、全胚培養という技術を習っているときに、胎齢10日目のマウスを培養用に取り出して、そのマウス胎仔の心臓が赤々と鼓動しているのを見たときに、発生という生命現象の「魅力」に心打たれました。その後も、非RIのin situハイブリダイゼーション技術が開発されて、特定の遺伝子のmRNAの局在をwhole embryoで見ることができたとき、あるいは、遺伝子変異ラット胎仔の末梢神経系において予想外の表現型を見出したときなど、その瞬間瞬間の「ドキドキ感」は今でも強く覚えています。ごく最近も、学生さんのデータをあれこれ眺めていたときに、ばらつきの中に非常に重要な真実が隠されている可能性を見出して、非常に興奮しました。
このような「感動」、すなわち科学の「魅力」は(残念ながら)しょっちゅう起きることではなく、予めいつ起こるか想定できる訳でもなく、教えることでも教わることでもありません。きわめて個人的な体験であるが故に、ある学生さんにとっての感動は他の学生さんにとっても感動できるものとは限りません。
教員としてできることは、感動や魅力を「共有」することや、学生さんが自ら魅力に気づくことができるように、環境を整え、見守ることだと思います。ボスが考えた作業仮説に合うデータを求めるだけの世界には、科学の魅力はありません。学生さんにとっても、科学の感動や魅力は「教えてもらえるもの」「分け与えられるもの」ではないのです。それは、あくまで自らが体験し、見出すものであり、科学は、そういう感動や魅力の上にこそ成り立っているのだと思います。
2013年4月
特定非営利活動法人 日本分子生物学会 第18期理事長
(東北大学大学院医学系研究科)
大隅 典子