大坪久子先生(2023年7月30日逝去)は日本の生命科学研究者として男女共同参画を推進したパイオニアであり、理工系を中心とした幅広い分野の研究者・技術者コミュニティなどとも連携して「無意識のバイアス」という重要な視座を伝える活動をしておられました。そのようなご業績から、2015年には第2回澤柳政太郎記念東北大学男女共同参画賞(現・澤柳記念DEI賞)を受賞されています。
日本分子生物学会の会員としては年会保育室(年会託児室)設置開始に向けて大きく貢献されたことを皮切りに、男女共同参画ワーキンググループを立ち上げ、委員会に育てられました。男女共同参画委員会の委員長を務めていた当時、種々、大坪先生に教えていただきました。文部科学省に提言をご一緒に持って行ったことなどもあり、それらは各種支援施策となり現在に繋がっています。
大隅 典子
(日本分子生物学会第14期男女共同参画委員会委員長/第18期理事長)
日本分子生物学会の男女共同参画活動について、草創期のことをまとめました。
(概要執筆:大坪久子氏)
私が日本分子生物学会の女性研究者支援にかかわり始めたのは、2001年当時、ちょうど国内では女性研究者支援を行う機運が高まってきた時期でしたので、自然な流れでした。
初めに、日本分子生物学会に年会保育室を作りました。それは私一人で出来たことではなく、実際に保育室が必要な子供を持つお母さん研究者3名と、私と同世代で子供が成長した研究者がもう一人、計5名でワーキンググループを作って活動しました。当初は評議員会(法人化後の理事会に相当)に保育室の設置をお願いしても「育児のような個人的なことをなぜ学会がサポートしなければならないのか」、「費用はどうするのか」などと批判されました。事故が起きたときには学会は責任を負えないという評議員会の不安もあったと思います。それでも、当時の山本正幸年会長をはじめ複数の男性評議員の先生がたが熱心にサポートして下さり、学会ではなく年会が責任をもつという形で、2001年の年会からパシフィコ横浜の一室に保育室を開設することが出来ました。その時の報告書は分子生物学会のホームページに出ています。
https://www.mbsj.jp/meetings/babysitting/2001report.pdf
このホームページは、新たに年会保育室を立ち上げる学会にはお手本としてよく利用されています。その後、本学会の年会保育室は、年会主催として途切れることなく現在まで続いています。設置から10年以上たって、若い世代には年会保育室があるのは当たり前になっていますし、それが外部委託されるのも当たり前でしょう。私たち設立にかかわった者にとっても、学会会場で楽しそうな親子連れを見かけることはこの上なく嬉しいことです。周辺学会への波及効果も大きく、ライフサイエンス系最大の学会である日本分子生物学会で年会保育室が設置されたことは、他の学会にとっても弾みとなったといえます。
(2014年7月)
2002年10月7日に設立された「男女共同参画学協会連絡会」の活動目的のひとつは理工系女性研究者のネットワーク作りでした。「約3割の女性会員を抱える日本分子生物学会もこの問題に取り組む必要がある」との当時の小川智子会長の決断で連絡会に参加しました。日本分子生物学会の男女共同参画の取り組みは、2002年当時「大変進んでいる」という状況ではありませんでしたが、2001年の年会で初めて「保育室」が設置され、2002年度も継続して年会によって保育室が運営されたこと、さらに2003年度もすでにその運営が予定されていたことにも示されるように、着実に進んでいたと言えます。他学会と連携していく上でも、分子生物学会の会員が、どのような問題を抱え、学会活動に何を希望しているかを知ることは大切と考え、2002年年会開催中にミニ・ワークショップを企画したわけです。まずは先行学会の活動に学ぶために、既に学会独自のアンケート調査とその解析を終えていた日本動物学会と応用物理学会に話題提供をお願いしました。その年10月の連絡会シンポジウム修了後に急遽企画をたて、事務局に場所を確保していただき、当日フライヤーを配布するという慌ただしさでした。正規の年会プログラムには載っていないという意味では、非公式だったのですが、2002年年会で第1回のワークショップを開催しておいて良かったと思います。これが、翌年以降の分子生物学会共同参画シンポジウムを経て、お弁当付きの「男女共同参画企画ランチョンワークショップ」に発展して行きました。
それにしても、今回この稿を書くに当たって、当時子育て中の女性研究者から出された課題をあらためて目にして、何とも言えない気持ちになりました。この時期から数年後、2006年から、国は科学技術振興調整費を投じて女性研究者支援事業を開始したわけですが、このミニ・ワークショップで出された女性研究者の抱える問題は、以下に列挙するように、どれも重い課題として現在でも残っているわけです。まさに “Why so slow?” と言うしかありません。
(1)就職・奨学金・研究費などの年齢制限をなくしてほしい。
(2)妊娠・子育ての時期のバックアップがほしい(育児休暇よりも実験補助員がほしいというのが、集まった大学や国公立研究機関(現独法研究期間)の女性研究者の切実な希望であった)
(3)子育てによるハンデイと研究業績評価をどう考えるか? 評価の基準をどこにおくか?
(4)今後普及すると考えられるポストドク制度や任期制が女性研究者のキャリアアップとライフサイクルにどう影響してくるのか?
どの問題をとっても、端緒はついたものの未だに十分な解決がなされたとは決して言えない状況です。
日本分子生物学会・ミニ・ワークショップ --男女共同参画・ネットワークづくりに向けて--(2002年12月)
(2014年7月)
女性研究者支援は、日本の場合、両立支援のための基盤整備からスタートしました。とにかく、家庭と仕事の両立を目指すわけです。私自身、2002年当時、共同参画事業にかかわり始めたときには、両立支援のための基盤整備がまず頭の中にありました。
これは私自身の経験ですが、日本分子生物学会の第2回目の男女共同参画シンポジウムを準備する時に、トピックスを「両立支援」にするか、「リーダー育成」にするかで、男性のオーガナイザーの先生とおおいに揉めました。彼は「リーダー育成」を推しました。今考えると、私よりも彼の方がずっと進んでいたわけですが、「リーダーを育てなきゃどうしようもないよ、何考えているの」と頭ごなしに言われ、こちらも腹が立ち「両立支援しなきゃどうしようもない、皆、辞めていくじゃないか」と3ヶ月ほど喧嘩したことがありました。結局、周りのポスドクの女性数人の希望を聞いて、その年は「両立支援」を、翌年は「リーダー育成」を、ということになりました。当時は年会保育室がやっと軌道に乗った頃でした。その頃は私自身、両立支援が上手くいけばすべて上手くいくと、考えていたと思います。しかし、実際には両立支援のための基盤整備だけでは不十分でした。基盤整備とリーダー育成は女性研究者育成の車の両輪なのですから。
この第2回のシンポジウムは、夕方の時間帯であったにもかかわらず、立ち見席も含めて200人以上の参加者があり、熱気にあふれたものになりました。報告は学会会報77号(2004年2月号6頁)に掲載されています。
(2014年7月)