追悼 関口睦夫先生

九州大学生体防御医学研究所長
中別府雄作

 九州大学名誉教授の関口睦夫先生は、2019年12月2日にお亡くなりになりました。87歳でした。関口先生は、1978年に発足した日本分子生物学会の創設に尽力され、第1期(1979年4月)から第9期(1997年3月)まで幹事、あるいは評議員として日本分子生物学会の運営に貢献されました。さらに、日本分子生物学会第2回の年会長(1979年、福岡)、そして第6期会長(1989年4月~1991年3月)を務められました。ここに謹んで、哀悼の意を表します。

 関口睦夫先生は、1955年に大阪大学理学部生物学科卒業後、同大学大学院理学研究科に進学され、吉川秀男先生が主宰されていた遺伝学教室で学ばれました。当時ようやく遺伝子の本体として定着していたDNAの複製機構を解き明かしたいと考えられ、カイコの絹糸腺、ウサギの虫垂およびファージ感染大腸菌を用いて核酸の合成を中心に研究されました。1959年には、Nature誌に「Synthesis of deoxyribonucleic acid by phage-infected Escherichia coli in the presence of mitomycin C. M. Sekiguchi and Y. Takagi, Nature, 183, 1134-1135 (1959)」を発表されるなど、当時から常に最先端の研究にチャレンジされていたようです。博士課程修了後、1960年4月に金沢大学医学部の生化学教室(高木康敬教授)に助手として赴任されました。1961年には米国に留学され、最初の2年間は米国ペンシルヴァニア大学のSeymour S Cohen教授のもとでファージ誘導酵素系について、その後は米国パーデュー大学のSeymour Benzer教授のもとでT4r遺伝子について研究されました。1965年11月に帰国され、高木先生が主宰されていた九州大学医学部第一生化学教室で、核酸の生化学に関する研究を展開されました。1969年3月には、九州大学理学部生物学科に開設されたばかりの分子遺伝学講座の初代教授として着任され、生涯の研究テーマとなったDNA修復の研究を始められました。1985年4月からは高木先生の後任として医学部第一生化学教室の教授に迎えられ、1991年10月1日からは生体防御医学研究所教授として生化学部門を担当されました。1992年4月から1996年3月の定年退官まで生体防御医学研究所長を務められ、実に30年5ヶ月間に亘り、九州大学での教育と研究に専念されました。

 生物にとって、その遺伝情報を担うゲノムDNAを細胞から細胞へ、親から子へと正確に伝え維持することは最も基本的な生物学的機能ですが、DNAは活性酸素による酸化や紫外線、γ線などの電離放射線への暴露により多様な損傷を被ることが知られています。DNAは正確に複製されなければなりませんが、そのためにはDNA上に生じた損傷はすぐに修復される必要があります。関口先生は、紫外線照射でDNA中に生じたピリミジン二量体を修復する酵素を大腸菌に感染するバクテリオファージT4から同定し、1970年に世界で始めて報告されました。その後、精製・純化した酵素(T4 エンドヌクレアーゼVと命名)と本酵素の欠損変異体を用いた解析から、DNA修復酵素の生化学的機能と生物学的意義を世界に先がけて明らかにされ、DNA損傷修復機構の研究分野を開拓されました。

 関口先生は、その後大腸菌をモデル生物として用い、DNA損傷修復機構と突然変異制御機構の研究を展開されました。DNA上に塩基配列として保存された遺伝情報はアデニンとチミン(A:T)、グアニンとシトシン(G:C)の相補的な塩基対によってその半保存的複製が保障されていますが、関口先生は鋳型DNA鎖に相補的なDNA鎖を正確に複製するには、一分子ずつ相補的なヌクレオチドを対応させる複製機構とともに鋳型DNA鎖の損傷や複製の誤りを修復する損傷修復機構の大がかりな分子装置が必要であることを明らかにされました。関口先生は、自然突然変異および誘発突然変異を高頻度に生ずる大腸菌の変異株を多数分離し、さらにそれぞれの遺伝子を世界に先駆けてクローン化し、その生化学的な機能を解明されました。その結果、鋳型DNA中に蓄積した損傷を複製の前に修復する一群のDNA修復酵素、DNAポリメラーゼやその関連分子、さらに間違って新生DNA鎖に取り込まれたヌクレオチドを除去する校正3’→5’エキソヌクレアーゼ(dnaQ遺伝子産物)と複製後まで取り残されたDNA損傷や誤対合したヌクレオチドを修復する酵素(uvrD遺伝子産物)などが遺伝情報維持に重要であることを明らかにされました。

 関口先生は、大腸菌において最も強力な自然突然変異抑制遺伝子mutTの解析から、MutT蛋白質がDNAポリメラーゼの基質ヌクレオチドプール中に蓄積した酸化ヌクレオチド(8-oxo-dGTP)を分解することで、自然突然変異を非常に低いレベルに保つことを明らかにされ、上記のDNA修復や複製酵素関連の遺伝子に加えて、ヌクレオチドプールの浄化機構が遺伝情報維持の上で非常に重要であることを世界で最初に明らかにされました。さらに、哺乳動物からMutTと相同のタンパク質を同定し、それをMTH1(MutT Homologue 1)と名付けました。MTH1を欠くマウスを樹立して解析したところ、複数の臓器で自然発がんの頻度が高くなることが明らかになりました。

 九州大学での関口先生の研究は国内外から高く評価され、「DNA傷害の修復と遺伝情報の維持機構の研究」の成果に対して、1997年度の日本学士院賞が授与されました。

 関口先生は、九州大学定年退官後は福岡歯科大学において、私立大学学術フロンティア推進事業「疾患における遺伝的、環境的要因の相互作用とその制御」(1998~2007年度)、さらに2008年度からは私立大学戦略的研究基盤形成支援事業「疾患の抑制におけるゲノム安定性と環境ストレスの制御」(2008~2012年度)、「疾患の発症と進展を抑制する分子基盤」(2014~2018年度)の研究代表者として2019年3月に退職されるまで、(1)突然変異と発がんの抑制機構と(2)細胞増殖・分化の制御と歯科疾患治療へのアプローチの2つの主要課題についての研究を推進されるとともに、若手研究者の育成に尽力されました。この間、活性酸素による遺伝子DNAの酸化損傷が自然突然変異および自然発がんの原因として重要であることをマウスを用いた研究で明らかにされました。また、発がん物質であるアルキル化剤による突然変異誘発と細胞死の誘発機構の研究を展開し、この2つの過程はDNA修復酵素(MGMT)とアポトーシス誘導に関わる因子(MLH1)の欠損によって大きく突然変異誘発、そして発がんへと傾くことを明らかにされました。さらに、ヒトにおいてもこのような修復遺伝子の発現異常や機能異常が発がんやがんの悪性化の原因となっていることを明らかにされ、発がん抑制に関して新しい視点を提示されました。

 最近の5年間では、関口先生の研究グループは自然状態の細胞内で酸化をひき起こす要因の実体が細胞の代謝に伴って生じる活性酸素であることを明らかにされました。老化もまた酸素ストレスによってひき起こされることを明らかにされ、特に酸素ストレスによるRNAの酸化が重要な要因になることを示されました。RNAはDNAの鋳型から数千分子つくられるので、たとえその一部が酸化されても細胞の機能には大きな影響を生じないとこれまで考えられてきましたが、最近の研究の結果、酸化されたRNAが細胞内に残り、それが大きな生物学的効果をもたらすことが明らかになってきていました。関口先生の研究グループは酸化RNAの細胞内での動態を調べ、酸化されたRNAに結合して細胞をアポトーシスに導くタンパク質PCBP1を同定し、PCBP1や関連するタンパク質が細胞の老化、ひいては個体の老化を抑えている可能性を示唆されています。この研究は、関口先生の退職後も福岡歯科大学で継続されています。

 関口睦夫先生はその生涯を通して、遺伝子DNAの損傷修復機構を分子遺伝学と生化学的アプローチで徹底的に研究され、突然変異の分子機構の実体と本質とを明らかにし、さらに老化に関与するRNA損傷応答機構を発見されるなど、常に世界をリードする研究を展開されてきました。2006年には、その成果に対して瑞宝中綬章が授与されました。

 2019年3月末に福岡歯科大学を退職される際には、「私は今月末で福岡歯科大学での仕事を終え退職することになりました。今後は少しのんびりし、興味ある問題については私なりに考えていこうと思っています。」とのメッセージを先生の教えを受けた門下生の同門会である「睦門会」のメンバーに宛てて、近況を綴られていました。関口睦夫先生は、11月14日の朝に体調を崩され、緊急入院されていましたが、12月2日の夕方6時半に眠るように旅立たれました。

 関口睦夫先生、長い間お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。心よりご冥福をお祈り致します。