国際誌“Genes to Cells”の発刊にあたって

国際誌“Genes to Cells”の発刊にあたって

富澤 純一

 1989年の日本分子生物学会の年会の折、会長を含む何人かの方々から、帰国後間もない私に英文国際誌の刊行に携わらないか、とのお誘いがあった。その時、1960年代中頃に分子遺伝研究グループで英文誌をもつのが望ましいとする声があったのを思い起こした。当時その動きは学士院紀要を活用したらといったところにとどまった。お誘いを受けて、英文国際誌の発刊は、日本の分子生物学研究者の連綿として続いた期待であるのを感じた。

 国際誌の発刊についての学会員諸氏のお考えと、私の状況判断とに大きな違いがないものと考え、約3年前に私は具体的にその手立てを考えることを引受けさせていただいた。その後、分野の決定、編集形態の検討、編集委員の選定、雑誌名の決定、出版社の選定、編集と出版の費用および購読費の検討等、実に多様な問題を考えることが必要になるとともに、私自身がそれらの処理にかかわることになってしまった。

 発刊に至る経過の詳細はこれまでの会報にゆずり、雑誌の特徴を中心に記すことにする。「名が体をあらわす」のが理想的である。雑誌名を「Genes to Cells」に決めるまでに2年を要した。この名は雑誌が扱う研究の範囲をあらわし、GenesとCellsが複数であるのは、将来盛んになると予想される複数の遺伝子(反応系)、複数の細胞(組織、個体)を扱う研究を考えたためである。toは研究対象の範囲を示すとともに、実験または思考上の主な方向を示している。ただし、素反応についての論文を排するものではない。反応機構の理解を主な対象とし単なる記述的、観察的な論文を排除するため「Devoted to Molecular and Cellular Mechanisms」という副題を付けた。ほとんどの日本分子生物学会会員の研究で、この趣旨に添うものを、この雑誌で扱うことができることも考慮した。ただし、基礎的な分子細胞生物学研究の論文を主な対象と考え、Mechanismの理解を直接的な目的としないBiotechnologyの論文をその対象から外した。

 編集は1名のEditor-in-Chief、11名のEditors、約70名のAssociate Editorsが行う。日本からの編集員の数は約1/4で、任期は3年である。それぞれのEditorまたはAssociate Editorは著者からの投稿を受理し、採否を決定する。この編集形態は、外国からの投稿を容易にし、出版までの時間を短かくすることを考え、さらに我が国の経済的事情(編集部の施設、人員に関わる費用等)を考慮したものである。

 EditorsおよびAssociate Editorsとして、活発に研究を行なっている方々を主に招待した。国内外のどの雑誌にも引けを取らないメンバーを揃えることができたと思う。考えようによっては、単なる雑用とも取られる役割に外国から招待した方々の約2/3のご賛同を得られたのは、私の予想を越えたものである。このことは我が国のこの分野の研究が、それなりに高く評価されていることを示すとともに、雑誌の出版を通じての日本の研究者の国際的貢献に協力する意図のあらわれであると思う。

 さて、期待する雑誌と言えば、「読んだ方に喜んでいただくもの」の一言に尽きると思う。「面白いもの、優れたもの」と言い換えることもできる。「投稿者に役立つもの」という期待は、その結果として達せられるべきものと思う。この方針のもとに、適当な論文数をもち、労力と費用当たりの効果が大きな雑誌をつくることを目指したい。このためにEditorsおよびAssociate Editorsのご協力と、投稿する方々のご理解をお願いしたい。ふさわしい論文のご投稿を期待している。また。論文審査等のために多くの方々のご協力をお願いしたい。

 1960年代を思い起こせば、当時のこの分野の空気は国際的にみても今日ほどの世知辛さはなかった。我が国の分子生物研究者から現在のような論文発表についての困難を聞いた覚えがない。それにもかかわらず、当時の研究者が国際誌の発刊を思ったのは、個人の利得を越えた、我が国の研究者の国際的な貢献についての責務と期待の現われであったと思う。思い上がりと思われるかもしれないが、当時の我が国のこの分野での成果が国際的に比較して、現在より劣っていたとは思わない。当時の状況が現在のものと全く異なっているのは、当時の我が国の優れた研究のほとんどが、何らかの形で米国の補助を受けていたことである。現在では我が国の研究の経済的基盤は不十分ながら整ったと考えられる。30年前に我々が夢見たのとは異なり、国際的な貢献を通じての成果を現実のものとして内外の研究者に役立てることが期待できる状況が作られつつあると思う。そのためにも、我が国の研究の状況を反映した情報の発信としての意義を兼ねた雑誌に育つことが望ましい。

 出版は意欲と経験とを考慮して英国OxfordのBlackwell Science社に依頼した。1996年1月からの月刊を予定している。編集費は日本側が、出版費は出版社が負担する。出版社の初期の赤字はかなり大きい。将来利益が出たときは、その8%は学会のものとなる契約であるが、当座は期待すべくもない。

 優れた編集者グループを持つことは雑誌が成功するための一つの条件にすぎない。皆さんから優れた論文を投稿していただき、質の高い雑誌を目指すことは、次に重要な条件である。一方、雑誌の成功にとって、発行部数は無視できない要因である。多数の購読は単価を下げ、国外の購読者数の増加をもたらす。このようにして、諸外国の研究者に我が国で行なわれる優れた研究を周知させるよう有効な機会が作られることが期待される。

 この雑誌を発行する目的の一つが、国際的な事業を通じて、学問の進展に貢献するとともに、我が国の研究者の活力と主張とを世界に表明する機会を作ることにあるのをご理解いただき、日本分子生物学会会員の方々一人一人が、本誌の購読を通じて、その成長に参画されることをお願いしたい。なお、購読の方法等については次の会報に掲載する予定である。

 この雑誌の発刊にあたって、これまでご協力くださった多くの方々、特に、学会や出版社との交渉で大変ご苦労された東京大学分子細胞生物学研究所の大石道夫さんに感謝する。

*会報50号(1995年3月)より